北方領土周辺海域で日本漁船がロシア国境警備隊から発砲を受けて拿捕(だほ)され、1人が死亡した事件について、外務省の原田親仁欧州局長は16日午前、ロシアのガルージン駐日臨時代理大使を同省に呼び、厳重に抗議した。これは大事件です。日本政府はロシア政府に対して厳しい姿勢で臨んで欲しいものです。あと、皆さんにちょっと読んで頂きたいエピソードがあります。インターネット上の掲示板サイト「2ちゃんねる」によく貼り付けられるコピペですが、なかなか良いエピソードなので紹介致します(戦前の話です)。
原田局長は「日本漁船が我が国固有の領土である北方四島の我が国領海内で、ロシア側から銃撃を受けたことを意味し、到底容認できない」としたうえで、「銃撃で1人が死亡する異常事態が発生したことも容認できない」と強調。再発防止や拘束された乗組員らの即時解放を要求した。
同代理大使は「申し入れは速やかに本国に伝える。特に乗組員の安否は速やかに確認のうえ、連絡する」と述べた。
日本海軍は北洋警備・北洋漁業保護の為に、最旧式駆逐艦を以て編成する駆逐隊の一隊(定数四隻、司令は大佐または古参の中佐)を毎シーズン派遣しておりました。日本政府にはこのぐらいの気概を持って日本国民の生命と財産を護って欲しいものです。
國民性なのでせうか、蘇聯は昔から露骨な國で、我が駆逐隊が漁業海域に到達し警備任務に就くや、日頃横暴なる蘇聯艦艇も、途端に猫の如く大人しくなりました。だから駆逐隊は毎度漁民から熱狂的大歓迎を受けたものですが、必要に応じ、戦隊若くは艦隊を神速に派遣することも行はれたやうです。
父の友人に「ひうらさん」といふ越後人がありました。生きて居られればゆうに百歳超えませう。明治の御代に雪の越後を後にして、刻苦勉励、数多辛酸を嘗め、戦後は小金持になり、銭湯など経営して世を終へられました。この御仁が、大正の末か昭和の初め、蟹工船に乗組んで北洋漁業に従事してゐた時の話です。
氷濤の中、果敢に操業してゐた或日、突然蘇聯の警備艦艇に謂れ無く拿捕され、乗組員一同、浦塩に聯行、抑留されました。此処までは今日と同じです。取調べは惨たらしいもので、生きて再び日の目を拝めるかと思った程ださうですありもせぬ犯罪事實の自白を強要され、半殺し状態で朝を迎へ、再び鐵格子の中から引き出されました。
いよいよ殺されるかと半ば覚悟した途端、何故か赤魔官憲の態度が掌を返す如くに豹変し、捜査は打切り、無罪放免、露西亜紅茶まで振舞はれてにこやかに釈放するではありませんか。解き放たれたひうらさん達は警察署だか獄舎だかの外へ出ました。天然の港町なら大概、地形的に港へ向って傾斜し、海側の眺望が開けているものです、半信半疑の儘、ともかくも港へ向はむとふらつく脚を海へ向けました。その瞬間、何故、助かったかが判りました。
沖には日本海軍の大艦隊が間近く展開し、旗艦たる巡洋艦以下、各艦砲身を陸に向け、砲門を開き、その強大な攻撃力は毎分幾百幾千發ぞ、陛下の赤子にかすり傷だに負はせなばウラジオストックそのものを消滅させんばかりの圧倒的武威を以て、ソヴィエト社會主義共和國聯邦を威圧して呉れてゐたのです。旭日の軍艦旗の何と美しく、浮かべる城の何と頼もしかったことでせう。皆、感泣しました。鋼鐵の艦体に頬ずりしたい思ひで・・・。ひうらさんは無事、日本に帰りました。
取るにも足らぬ漁舟の、僅かな人数の乗組員の為に、大國相手の戦争をも辞せず、瞬く間に艦隊を繰り出して救出してくれた祖國日本の親心に酬いる為にも、なほ一層仕事に励み、三代の御代を生き抜き、東京都江戸川区小岩の自邸で、四半世紀ほど前に大往生を遂げられました。勤倹貯蓄、關東大震災の前の歳に買ったといふ革靴を、靴底だけ張替へ張替へして生涯穿き続けました。
「贅澤をする金があったら海軍に献金でもせい!」
テーマ:領土・領海・・経済水域 - ジャンル:政治・経済
Author:公爵
趣味は読書、映画、ドライブ、料理、糠漬け、時計蒐集。体も心も大きな男です。好きな言葉は「ノブレス・オブリージュ」。現在、公爵夫人(公妃)を募集しております。
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