西ブログブルク公国

皇室、華族、王侯貴族、政治経済、時計、万年筆、トミカ、トイガン、家庭菜園、糠漬けの話題など、何でもありのブログです。

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
  1. --/--/--(--) --:--:--|
  2. スポンサー広告

皇居に22ヶ所の防空壕!

太平洋戦争大東亜戦争)開戦直前の1941年(昭和16年)9月、皇居に22ヶ所、赤坂離宮(現在の迎賓館)に14ヶ所の防空壕が作られたそうです。

asahi.com(朝日新聞社) 2009年8月14日9時30分
皇居内に22の防空壕太平洋戦争直前に完成
http://www.asahi.com/national/update/0813/OSK200908130237.html
 太平洋戦争開戦直前の1941(昭和16)年9月、皇居(東京都千代田区)内に22カ所の防空壕(ごう)が完成していたことが、朝日新聞社が宮内庁に開示を求めた資料でわかった。主に職員用だったとみられ、赤坂離宮(港区、現・迎賓館)にも14カ所造られていた。「簡易防空壕」と表記されているが、一部の工事仕様書から、内部を厚さ約2.5センチの板で囲い、防毒幕を張った充実した構造だったことがうかがえる。

 開示された資料は、宮内省(当時)が作成した「防空関係工事録 内匠(たくみ)寮(りょう)」と「工事録 内匠寮」。「防空関係工事録」中の文書には、皇居内に計420人が収容できる防空壕21カ所が必要と記されている。開戦の9カ月前の41年3月3日に決裁されていた。

 さらに、同年9月に工事が完了したことを示す文書もあった。それによると、皇居内にできた防空壕は予定より一つ多い22カ所。地下式と横穴式の2種類で、10~30人用と大型だった。

 「工事録」には、22カ所中6カ所の工事仕様書や断面図、平面図も残っていた。断面図によると、内部は幅約1.5メートル、高さ約1.6メートル。木造で床に砂利を敷いて腰掛けを設け、毒ガスに備えた防毒幕も張る計画だった。修正した記録はなく、仕様書通りに建造されたとみられる。

 防空壕の埋め戻しに関する資料は見つかっておらず、宮内庁は「すべてが埋め戻されているかどうか確認していない」としている。(山田理恵)

テーマ:戦争・原爆 - ジャンル:政治・経済

  1. 2009/08/15(土) 12:13:58|
  2. 天皇・皇室・皇族・華族
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0
<<韓国政府が公式見解「対日補償要求は終了」 | ホーム | 終戦の日(交戦国一覧付)>>

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバックURLはこちら
http://westblogburg.blog37.fc2.com/tb.php/1301-1a1e32af
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。