西ブログブルク公国

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ペチコート同盟

ペチコート」とは、スカートの下に装着する女性用の下着のようなものです。19世紀以前では女性用のスカート状ドレスのこと自体をペチコートと呼んだそうです。そして、かつてこのペチコートの名を冠した「ペチコート同盟」と言う同盟が有りました。勘違いする人が出てくる前に一応言っておきますが、これは

ペチコート愛好家の団体ではありません。

ペチコート同盟とは、プロイセン国王フリードリヒ二世(所謂フリードリヒ大王)に対抗するためにオーストリア・ハプスブルク家当主マリア・テレジアロシア女帝エリザベータフランス国王ルイ十五世の愛妾ポンパドール夫人(ポンパドール侯爵夫人)と結んだ同盟です。女性3人が中心となって結んだ同盟だったので、「ペチコート同盟」または「3枚のペチコート」と呼ばれています。ペチコート同盟は以下のように結ばれ、瓦解していきました。

<起>
オーストリア・ハプスブルク家当主マリア・テレジアは、神聖ローマ皇帝カール六世の長女でした。カール六世には男子がいなかったので、長女のマリア・テレジアにオーストリア・ハプスブルク家の所領と神聖ローマ皇帝位を継承させようとしました。しかしカール六世の死後、周辺国がこの相続に異議を唱えてオーストリア継承戦争(1740年~1748年)が勃発。プロイセン国王フリードリヒ二世はこの機に乗じてオーストリア・ハプスブルク家の所領であったシュレジェン(シレジア)を占領。その後、オーストリア継承戦争は終結し、マリア・テレジアはオーストリア・ハプスブルク家の所領を継承、マリア・テレジアの夫であるロートリンゲン公フランツ・シュテファンは神聖ローマ皇帝フランツ一世として即位しました。しかしプロイセン王国に奪われたシュレジェンは戻って来ませんでした。

<承>
マリア・テレジアはシュレジェンの奪回を目指し、プロイセン王国との報復戦争を準備し始めました。その手始めとして、プロイセン王国の東側の大国ロシア帝国の女帝エリザベータと同盟を結びました。そして今度はプロイセン王国の西側の大国フランス王国の国王ルイ十五世の愛妾ポンパドール夫人(ポンパドール侯爵夫人)に接近し、7年掛けて同盟を結びました。この同盟において、マリア・テレジアの末娘マリー・アントワネットがフランス王太子(後のルイ十六世)が婚約しております。フランス王国は先のオーストリア継承戦争でも介入し、オーストリア・ハプスブルク家とは犬猿の仲でした。長い間対立してたオーストリア・ハプスブルク家とフランス・ブルボン家のこの同盟は世間を驚かせ、「外交革命」と呼ばれました。こうしてマリア・テレジアはプロイセン王国を三方から包囲することに成功。これに驚いたフリードリヒ二世はイギリス王国と同盟を結び、オーストリアに対して先制攻撃を仕掛けました。七年戦争(1756年~1763年)の勃発です。

<転>
オーストリア・ハプスブルク家、ロシア帝国、フランス王国の三方から包囲されたプロイセン王国は苦戦を強いられました。ベルリンを2度も占領され、フリードリヒ二世は自殺を考える位追いつめられました。しかしその時、ペチコート同盟の一角であるロシア女帝エリザベータが急死。そしてその後を継いでロシア皇帝になったのはフリードリヒ二世の信奉者ピョートル三世。これによりロシア帝国はプロイセン王国との戦争を中止し、フリードリヒ二世は首の皮一枚で助かりました。

<結>
ペチコート同盟の一角を担うフランス王国は、イギリス王国と海外の植民地において戦争を繰り広げ、プロイセン王国との戦争どころではなくなってきました。またプロイセン王国の同盟国イギリス王国も同様にフランス王国との植民地戦争でプロイセン王国に構っていられなくなりました。また、オーストリア・ハプスブルク家はオスマン帝国の脅威に晒され始めました。そのため、両陣営とも戦争の継続が困難となったので停戦し、講和条約を結びました。これにより、プロイセン王国によるシュレジェン領有が確定してしまいました。

マリア・テレジアはペチコート同盟の初期の目的であったシュレジェン奪還は果たせませんでした。しかしオーストリア・ハプスブルク家の広大な所領をほぼ守りきり、オーストリア・ハプスブルク家をヨーロッパの列強に押し上げることに成功しました。女性を怒らせると恐いですね・・・。

<公爵の独り言>
マリア・テレジアはこんな大戦争をしながら、男子5人、女子11人の合計16人の子供を産んでいます。凄いものですね。

テーマ:歴史 - ジャンル:学問・文化・芸術

  1. 2006/07/23(日) 16:50:45|
  2. 王侯貴族・ローマ法王
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